こんにちは!名古屋のギター、ボーカル、ウクレレ等の音楽教室「ポワンポワンスタジオ」です。
今日のテーマは「棒歌いになってないか?」です。
「棒歌い」という言い方は特に用語でもなんでもありません。僕が勝手に作り出した言葉です。(でもネットで調べたら同じように使用している人がいました。そのうち一般的になるかも笑)
要は「棒読み」の歌版です。「ただ歌っている」だけになっていませんか?というのが今回の主題です。
ただ、そう言われても「棒歌い」になっているのかどうか正直わかりませんよね?「なっていない」と思っている方もたくさんいらっしゃると思います。
でも個人的な感覚では、一般の人の9割以上、ボーカルを習っている人でも8割くらいはこの「棒歌い」に該当すると思っています。
「ええっ・・・嘘でしょ」
って感じですよね?では試しにチェックしてみましょう。
突然ですが「カエルの歌」を歌ってみてください。
そして次に自分が一番感情を込めて歌えると思っている歌を歌ってみてください。
どうでしょう?
大きく違いませんか?自分の思い入れのある曲はちゃんと歌えているのに「カエルの歌」は特に抑揚などもついてない「ただ歌っているだけ」になっていませんか?
このようにもし歌手の歌を歌うときには「棒歌い」になっていないのに童謡を歌った時に「棒歌い」になっているのであればそれは思い入れのあるときは誰かの「マネ」をしている可能性が高いと思ってください。
「カエルの歌には思い入れがないから感情込めて歌えない」という人もいるかも知れませんがそれはおそらく間違いです。「感情込めて歌えない」のではなく「感情の込め方がわからない」のです。
ではなぜ童謡を歌うとき感情の込め方がわからず、棒歌いになってしまうのでしょうか?
それは童謡は特定のアーティストが歌っているわけではないため、誰かが歌っているイメージがないからです。例えばお笑い芸人の一発ギャグなどを脳内再生するとわかりますがイメージした時にその芸人さんの声になっています。
でも例えば「ありがとう」という言葉を脳内再生しても特定の人は出てきにくいのではないでしょうか?もっというと再生出来ないと思います。
あくまでイメージというものは古い記憶のつなぎ合わせで生まれています。これが特殊な言葉や今までほとんどかけられたことのない言葉であればその記憶を再生できますが、「ありがとう」は家族から果てはカフェの店員さんまで関係なく記憶に積み重ねられて行くため頭がイメージとして処理しにくいのだと思います。
ではどうすれば「棒歌い」から脱却できるのでしょうか?
次回続きを書いていきたいと思います。
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